大判例

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札幌地方裁判所 昭和41年(ヨ)126号 判決

北海道勇払郡追分町一区

申請人 吉田清勝

〈ほか三名〉

右代理人弁護士 中島達敬

同 彦坂敏尚

同 内藤功

東京都千代田区丸ノ内一丁目一番地

被申請人 日本国有鉄道

右代表者総裁 磯崎叡

右代理人弁護士 鵜澤勝義

右指定代理人職員 大川実

〈ほか六名〉

主文

申請人吉田清勝、同村上義雄、同佐久間慶一が被申請人に対し雇用契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。

申請人小林孝の申請を棄却する。

申請費用のうち申請人小林孝と被申請人との間に生じた分は同申請人の負担とし、その余は被申請人の負担とする。

事実

≪省略≫

理由

(本案前の主張について)

国鉄法一条、二条の規定によれば、被申請人が従前純然たる国家行政機関によって運営されてきた国有鉄道事業を国から引き継ぎ、これを能率的に運営発展せしめもって公共の福祉の増進に寄与する目的をもって設立された公法上の法人であることは明らかであるが、その事業の本質が一般私企業によって経営され得る性質のものであることに鑑みると、被申請人が右のような公法人であることをもって、直ちに被申請人とその職員の雇傭関係が公法関係であるとか、本件免職が行政庁の処分であるとかの判断を下しえないことは明らかである。そして、被申請人とその職員との雇傭関係等の性質は、結局実定法の規律の仕方によって定まると解されるから、以下において、右に関する実定法の規定について、検討する。

まず、被申請人の職員が憲法一五条二項にいう全体の奉仕者としての公務員に該当すると考えることができるとしても、同条項は国民主権主義のもとにおける公務員の基本的な立場を宣言したものであって、被申請人とその職員との雇傭関係の法的性質について直接規定したものと解することはできないから、同条項により右関係が公法上の関係であるとの結論を導きうるものではない。

次に国鉄法、公労法の規定をみるに、国鉄法二七条ないし三二条において、職員の任免の基準、給与、分限、懲戒、職務専念義務等に関する事項につき国家公務員に関するものと類似の規定をし、同法三四条一項で職員を法令により公務に従事する者とみなす旨規定し、公労法一七条で職員及びその組合に争議行為を禁止しているが他方、国鉄法三四条二項において役員及び職員には国家公務員法は適用されない旨規定し、同法三五条において、職員の労働関係に関しては公労法の定めるところによるとされ、公労法八条はその職員に対し、賃金、労働時間等昇職、降職、免職、懲戒の基準に関する事項、その他労働条件に関する事項について広範囲な団体交渉権を認め、被申請人と対等な立場で自由に労働協約を締結し得る地位を保障し、同法二六条ないし、三五条には被申請人と職員との間に発生した紛争について、あっせん、調停、仲裁の制度を規定しており、また、前記国家公務員に関する規律に類似する国鉄法二七条ないし三二条の規定は、性質上同一のものが一般私企業の就業規則等の中にもしばしば見うけられるところである。これらを綜合して考えてみると、被申請人とその職員との関係は、権力関係たる公法関係の性質を有するものと認めるわけにはいかず、実定法上、基本的には、対等当事者関係たる私法関係の性質を有するものとして規律されていると考えざるをえない。なお、被申請人の職員の勤務身分関係がいわゆる五現業の国家公務員のそれに類似しているけれど、右現業公務員は国の行政機関に雇われまた一部の規定を除き国家公務員法の適用をうけるのであるから、実定法上両者を同一に取扱っていないことは明らかである。また、被申請人の職員が一般私企業の従業員と異なった取扱を受ける面(争議行為の禁止等)があるのは、被申請人の事業が高度の公共性を有することによるものであって、このことは、被申請人とその職員との関係が基本的に私法関係であるとの前記判断と相容れないものではない。更に、公務員等の懲戒免除等に関する法律(昭和二七年法律第一一七号)二条及び日本国との平和条約の効力発生に伴う国家公務員等の懲戒免除等に関する政令(昭和二七年政令第一三〇号)一条において、昭和二七年四月二八日以前の事由に基づく被申請人職員の懲戒の免除について政府がこれを行なう旨規定しているのは、被申請人職員の大部分が国鉄法施行の際国家公務員から移行した事実に鑑み、法律が特に右事項に限り被申請人の職員を国家公務員と同様に取扱おうとしたものと解され、また、国鉄法三一条がその職員の懲戒を行なう者を被申請人の総裁と規定したのは、懲戒処分の性質に鑑み、被申請人の代表者である総裁に対し法律が特にその決定権を与えたもので、懲戒権の行使の主体は被申請人であると考えられるから、これらのことも被申請人とその職員の雇傭関係についての前記判断に影響を与えるものではない。

以上によれば、被申請人とその職員との雇傭関係の本質は私法的関係であり、国鉄法三一条一項一号に基づいてなされた本件免職は、行政庁の処分ではないから、被申請人の本案前の主張は採用することができない。

(本案について)

第一  申請人らがいずれも被申請人に採用された職員であり、申請人吉田、村上が札鉄管理局内追分機関区に、申請人佐久間、小林が同局区内岩見沢機関区に勤務していたこと、申請人らがいずれも動労の組合員であり、申請人吉田が勤労追分支部の青年部長を、村上が動労地本青年部の副部長を、小林が動労岩見沢支部の書記長をしていたこと、しかして、被申請人が申請人らに対して昭和四一年一〇月八日付で国鉄法三一条に基づき本件免職の意思表示をしたことは当事者間に争いがない。

第二  入園闘争について

一  学園の設置、機関士及び気動車運転士の養成経過等に関する事実摘示第四の三の1の(一)の事実及び乗務員過剰による機関士等の降職等による在職一四年以上の機関助士が多数に上ったことなどに関する同(二)の事実はすべて当事者間に争いがない。

二  ≪証拠省略≫を総合すると以下の事実が疎明される。すなわち、

1 被申請人は前記のように機関士等の養成をさしひかえていたが、その後列車の走行距離の伸長、列車本数の増加等により、昭和二九年四月から再び機関士等乗務員の養成を始めることとなったが、動労の要求も容れて先ず前記の副機関士を優先的に入園させ、昭和三三年ころは副機関士のほぼ全員が機関士に復職した。ところで、学園入園者数或いは入園受験者数は被申請人の乗務員需給計画ないし試験当日の現場要員数の確保に密接な関係があることから、被申請人の北海道支社、札鉄管理局と地本との間では、昭和三四年ころから毎年団体交渉により入園者数が決められてきた。しかして、昭和三四年ころは、機関助士としての在職年数が長く、また高年令の機関助士(以下「古年者」という。)が多く存在する実状にあって、入園試験がペーパーテストによって行なわれるため、それらの者にとっては受験準備のために相当の努力を要するうえ、新制の高等学校を卒業した者に比べると必ずしも有利とはいえなかった。そこで、地本は、このような古年の機関助士は既に身体検査、適性検査、脳波検査に合格しているのであり、かつ長年の実務経験により、機関士としての職務の安全な遂行が可能であるのに、机上のテストによる試験制度のためいつまでも機関士に比して低い労働条件に甘じなければならないのは不当であるとの立場から、札鉄管理局に対して昭和三四年ころから古年者を優先的に学園機関士科、気動車運転士科に入園させるべく要求するに至った。これに対し北海道支社はもちろん、札鉄管理局も地本の右要求は専ら被申請人の管理運営事項に属するとして、これについて地本と正式な団体交渉をすることを拒否したが、受験当日及び入園中の現場要員の確保、年休計画、助勤等について組合側に協力を求めなければならない立場等もあって、右入園者数を決定した後札鉄管理局の運転部(運転部長機関車課長、総務課長ら)或いは総務部(主として労働課長)を通して同年ころから毎年一月から二月ころにかけて非公式ではあるが古年者優先入園に関し地本の役員らとの間で事実上の団体交渉に応じその結果、昭和三四年ないし三六年の機関士科入園試験(年二回施行)のうち昭和三五年三月施行の試験を除き受験有資格者の中で年令三四才以上で機関助士在職年数一五年以上の者を優先的に合格させることを約し、そのとおり実行した。そして、昭和三六年五月二六日被申請人本社と動労本部との間でも昭和三七年度の機関士科入園について、年令三五才以上、機関助士経歴一五年以上、高等小学校卒業者で昭和二〇年以前に採用された者の条件に該当する者に限り特別な試験を行なって入園させるべき合意が成立し、翌昭和三七年実施されるに至った。

ところで、地本は、札鉄管理局との間で事前に右の如き先任順に優先合格させるべく合意が成立すると、予め作成されている札鉄管理局内の各機関区の機関助士の名簿からその都度該当する入園優先者を拾い上げて、その氏名を組合支部に伝え、各支部において右該当者は、事実上組合の指示を受けて当局側(機関区長)から入園試験願書の交付を受け、かつこれを提出し、支部によっては、機関区長から組合が一括して右該当者の願書の交付を受け、かつこれを提出していた。そして、該当する受験者が入園予定者数を上回ったときは不合格者が出たが、そうでない場合でも当局側は、常に試験の点数を重視し、合格点(全科目四〇点以上平均六〇点以上)に達しない受験者がいると、その名前を予め地本に知らせたが、地本は、当局に対して極力その者を合格させるよう交渉し、右の者がそれでも不合格とされた場合は次回に必ず入園させるべく更に交渉を続けていたため、結局当局も右要求を受け入れる結果になる場合が多かった。次いで、地本は昭和三七、八年度中に年令三四才以上、機関助士在職一四年以上の者を解消すべく当局側と交渉した結果、未だ入園できない該当者も順次減少し、昭和三八年四月施行の入園試験の際には優先入園者の基準を機関助士在職一〇年まで引下げるに至った。

2 昭和三九年に入るころから当局側は入園交渉の中で地本に対して昭和四〇年以降はこれまでの入園方法をやめるべき旨主張し始めたが、地本はとりあえず昭和三九年内に機関助士在職一〇年以上の者を解消すべく当局に強く要求し、一応これら該当者を優先入園させる旨の了解を得た結果、同年四月から昭和四〇年二月までの入園者一四四名のうち在職一〇年以上の者が一〇五名、同七年以上一〇年未満の者が二〇名を占めた。しかしながら、その間、昭和四〇年二月施行の入園の試験の際は組合側が譲歩したため若年者も相当数入園した。そして、そのころから同年度分の入園についての交渉が行なわれたが、当局側は、乗務要員不足を理由に同年四月入園の試験以後は優先入園の方法をとらず、通常の競争試験による選抜を行なう旨強く主張した。これに対し地本は、強硬に反対し、結局同年二月二三日両者間に、(1)同年四月の機関士科入園の際は機関助士在職九年以上の者を優先入園させ、この段階で在職一〇年以上の者を全員合格させる、(2)同年一〇月の機関士科入園の際は同八年以上の者を、(3)昭和四一年一月機関士科入園の際は同七年以上の者を、(4)同年二月機関士科入園の際は同五年以上の者をそれぞれ優先的に入園させるべき旨の合意が成立した。

3 しかしながら、昭和四〇年四月入園の試験(合格者五〇名)において機関助士在職一〇年以上の者が一一名不合格とされたため、地本は札鉄管理局運転部を相手に右の者を追加合格させるべく交渉を進めたが、運転部長はこれら不合格者については同年一〇月に行なわれる入園試験(一一月入園者)まで待つようにとの回答をしていたのに、同年夏の臨時列車増発等についての団体交渉の席上で地本から出された前記二月二三日の合意事項についての質問に対し同局総務部長は当局としてはそのような合意をしたことはないとの態度を打出し、次いで、当局側は札鉄管理局長、総務部長の発言を通して、地本の組合員のみに特別な入園方法を認めるのは不当であるから、今後規程どおり先任順などにとらわれない試験をしなければならないとの見解を表明するようになった。一方、地本は同年九月一四日一五回地本大会において、入園試験制度の撤廃、当面は先任順による入園と年次別受験制度の確立、在職一〇年以上の者を全員入園させること等を運動方針として決定した。しかして、同年一〇月に行なわれた機関士科入園試験(合格者三〇名)においても当局は右一一名のうち、再び四名を不合格とする旨を示したので、地本は当局に強硬に迫ってようやく右四名の追加合格を認めさせ前記合意事項(1)(2)の目的をほぼ達成することができたが、その交渉の中で、当局側は労働課を通して入園問題は被申請人側の管理運営事項であるから今後一切団体交渉の対象にしないし優先入園の取扱いをしないことを明らかにした。これに対し、地本は昭和四一年四月以降の入園問題については話合う余地はあるが、それ以前に施行される入園試験については前記合意事項(3)(4)に従って古年者を優先入園させるべきことを主張し、結局双方の主張は平行線をたどったままであった。

4 かくするうちに、札鉄当局は、従前の例に反し優先入園者数等具体的実施方法につき組合側に連絡をしないまま、昭和四〇年一一月一三日昭和四一年一月機関士科及び気動車運転士科入園の試験を昭和四〇年一二月九日に行なう旨局報に掲載して発表した。そこで地本は、昭和四〇年一一月一五、一六日に第五二回地方委員会を開いて、入園問題について当局が従前同様団体交渉に応じなければ、入園拒否闘争をするほか年休抑制排除、助勤反対等の運動も行なう旨を決めるとともに、右入園には先の合意のとおり、機関士科については在職七年以上の者を優先入園させるべきであるとの方針を再確認し、該当する者四〇名から願書を組合に提出させたうえ、同年一二月六日地本委員長輪島隆治らから札鉄管理局総務部に対して右四〇名を優先入園されるべきことを申し入れた。しかしながら、当局側は、昭和四一年一月以降の入園については通常の競争試験の方法をとるから、組合側の示す四〇名の者について合格は約束できないこと及び今後は組合による受験者規制をやめるべきことを回答し前記昭和四〇年二月二三日の合意の存在を否定する態度に出た。これに対し、地本は、昭和四〇年一二月七、八日執行委員会を開き、右四〇名の願書提出者を含めて全員受験拒否で臨み、この闘争と年休抑制排除の運動と結合させることなどを決定し、その旨の指令を各支部に発した。一二月九日の試験当日当局は鷲別機関区において鉄道公安官を出動させて同機関区内において二名に対し試験を行なったほか、受験拒否により試験を施行することができなかった。

5 昭和四一年になると、札鉄管理局では運転部や総務部の課長らが各機関区を巡廻して機関区長や助役らを督励し、同年一月二九日ころから局内の機関助士に宛て運転部長、総務部長名で、組合側の要求する先任順の入園制は不当であること、前回は組合の反対で三八名の入園不足が生じているから次回にはすすんで受験して欲しいことなどを記載したパンフレットを送り、これと平行して北海道支社からも同様のパンフレットが送られていた。右の事情等から地本は入園者の再募集が行なわれるであろうことは察知していたが、同年二月五日に至り札鉄管理局は、従前の例に反し組合との何らの事前交渉もなく同日付の局報で同年三月の入園者を募集する旨(願書提出締切日同年二月一一日、試験日同月一八日)発表した。そこで、地本は、役員を通して札鉄管理局総務部長らに対して組合に何らの事前通知もなくしてなされた右発表について抗議を申し入れたが、同部長らは「局長の命令である」との答えに終始した。そこで、地本は、今回は組合側の指示する以外の者に対しても願書が交付されるおそれがあるとの考えに立って全員願書提出を拒否して闘うことに方針を定め、二月七日その旨各支部に指令を出した。しかして、願書締切日である二月一一日に至っても願書提出者は僅か数名であったため、そのころから各機関区では区長や助役らが機関助士の自宅を訪問して入園受験に応ずべき旨の説得活動が行なわれ始めた。これに対し、地本では同月一四日支部代表者会議を開いて、これに抗議するため特休、祭休、年休を一斉にとるべき方針を決定し、同月一六日闘争指令(事実摘示第三の四の1)を発するに至った(この指令が発せられた事実は当事者間に争いがない。)。そして、同日竹内地本副委員長は、追分機関区にオルグのために赴いていた。

以上の事実が疎明され(る。)≪証拠判断省略≫

第三  申請人吉田、村上の申請に対する判断

一  当事者間に争いのない事実に≪証拠省略≫を総合すると以下の事実が疎明される。

1 動労追分支部(昭和四一年当時の組合員は追分本区約五〇〇名苫小牧支区約二〇〇名)においても学園入学については毎年地本の前記方針を受けて、受験資格のある機関助士のうちから先任順に従って、受験をさせ、昭和四〇年一二月九日に行なわれた前記入園試験の際も、当時願書を提出していた四名を含む資格者全員が受験を拒否するなど入園に関する地本の指示に従った行動をとっていた。しかし、同月から昭和四一年一月にかけて、札鉄管理局から前記の如き受験勧告により組合の方針に従わずに受験を志す組合員も数名みられるに至ったため、組合側もそれらの者の意思を確認して説得すべく努力を重ねるとともに、他方昭和四〇年一二月ころ追分機関区長滝川和雄らに対して、職制の力を利用するなど無理な方法で有資格の組合員らを受験に勧誘するようなことのないよう申し込み、これを約束させていた。しかして、昭和四一年二月五日当局側の局報掲示により同年三月の入園者募集が行なわれていることを知った組合側は、直ちに区長らに対して右募集についての交渉を開始し、組合側の指示のない者に対して隠密裡に願書を交付することのないように申し入れた。区長らは、これらに対して職場で有資格者に説得を試みることはあるが無理な受験勧誘をするなど積極的な切り崩しや前回(昭和四〇年一二月九日)鷲別機関区において当局側が行なったような強引な措置はしない旨約束した。そして、受験については、あくまで資格者本人の自由意思を尊重すべき旨が双方によって確認された。しかして、同月七日ころ、地本から支部組合に対して今回の受験は一切拒否する旨の指令が伝えられたため、支部組合側は、同月八日ころ区長に対して再び交渉し、組合の右方針に反して受験希望者が出た場合は、願書締切日である同月一一日その氏名を教えて欲しいと申し込み、区長も一応これを了承したので、追分支部委員長田原弘らは、同月一二日(願書締切日が一日延びていた。)再び区長に対して受験希望者名を教えて欲しい旨申し入れた。しかし、区長は、願書を提出した者は若干名いるが、今回の入園問題については札鉄管理局と地本との間で現在行なわれている交渉が進展する余地もあるので右氏名を明らかにするのは同月一七日まで待って欲しい旨回答した。

2 しかして、滝川区長は、同月一五日ころ札鉄管理局の総務部、運転部の各課長と相談した結果、そのころ同区長から受験を勧められ、また自らも受験を希望している伊藤登、秋田捻の両名を同月一七日乗務途中でそれぞれ検査助役新川倍美、整備助役菅茂と交代のうえ下車させて札幌の受験場へ送ることを決め、同月一六日両名にその旨を伝えた。区長は、右の方法により組合側から当然激しい抗議行動を受けることを予想したので、同日朝点呼の際同機関区の助役全員に対して右趣旨を伝えるとともに、組合側の抗議等に備えて翌一七日は待機すべきことを指示し、また、同日夕刻から一八日朝までの間は三名の、その後は一〇名の公安職員を同機関区に待機させるべく手配した。

一方、組合側は、田原委員長を中心に同月一六、一七日の両日にかけて数回に亘って区長らと願書提出者を受験させないよう交渉すると共にその氏名を明らかにするよう申し入れたが、区長らはこれを明らかにしなかった。しかし、そのころになると、組合役員らは、態度の曖昧な伊藤、秋田ら数名の者が、あるいは受験するのではないかとの推測を深め、両名に対して問い質したところ、両名とも確たる回答はしなかったが、同月一七日に至り、乗務直前それぞれ山根らに対して乗務後にもう一度話し合うことを約束して追分機関区を出発していった。しかし、当局側は右両名の受験意思を改めて確認した上当初の予定どおり両名を乗務途中で菅及び新川の両助役と交代させ、札幌に赴かせた。

3 一方、追分支部組合員らは、伊藤らを乗務終了後直ちに説得すべく追分駅ホームで待機していたが、午後八時四〇分頃伊藤が前記のように菅助役と乗務を交代し受験のため札幌へ赴いたことを知り、かかる措置は強行なやり方をしないとの区長の前記約束に反するものであると憤慨し、区長らに対して直ちに抗議と責任追及を行なうことを決め、区長ら当局側の者(区長のほか、石井利光、高石嘉範、菅茂、高橋貞美、前田重美、大野秀信、大島八郎の各助役)を呼出し、同日午後九時二五分ころから日頃団体交渉に使用されている区長室において、組合側の者約二〇名(田原委員長、山根副委員長、梅野書記長、竹内地本副委員長、大内幸次乗務員会長、平吹同副会長申請人吉田、村上らのほか支部青年部の役員、その他一般組合員)が参集し、中央のテーブル(約四平方メートル)を挾み、田原、山根、梅野ら組合役員と区長らとが向い合って座り、申請人吉田、同村上は区長らに近い席に座り、その他の組合員はそのまわりをとり囲む形となって交渉が開始された。なお、そのころ、秋田も伊藤と同様乗務途中で新川助役と交代して受験のため札幌に赴いた旨の連絡が入っていた。

4 席に着くや、田原がまず最初に「区長酷いことをやってくれたな、追分の町をメチャクチャにするのか」、「秋田の奥さんが組合に秋田の受験をやめさせてくれと泣いて頼んだ、俺は、あれほど区長に受験をやめろと言ったのに、こんなことをしてしまって、責任はどうする」と発言し、続いて他の組合員らも同調して口々に区長に対し「嘘つき、馬鹿野郎追分の特殊性(追分町民には国鉄職員が多く、互に連帯感が強いこと)を知っているか、労組の言うことを聞かないと村八分になるぞ」などと罵声を浴びせ始めた。申請人吉田も、時にはテーブルを叩きながら「おい、滝川、卑怯者、馬鹿者、それでも血の通った人間か、貴様みたいな奴はくたばってしまえ」「家族は自殺するかも知れないのだぞ」「助役も助役だ、無能な助役ども」などと発言した。そして、組合側は、区長らに対して菅助役の乗務交代は、区長が数日前組合に約束した「強引なやり方はしない」との趣旨に反するものであり、また菅助役のような路線の状況にうとい者を突然交代乗務に就かせることは、当局の日頃強調する運転保安に反するのではないかと激しい抗議と責任追及を始めた。区長らは、右の措置はすべて札鉄当局の命令に従ったものであり、また本人の意思を確認の上乗務交代し本人の希望に従って受験に赴かしたもので、受験を強制したことはない旨応答したが、組合側は納得しなかった。そして、田原が秋田らの家族にこのことを知らせてあるのか問い質したのに対して区長が知らせていない旨答えたため、更に室内は騒然として組合員らの抗議も強まった。そして、組合側は、ともかく伊藤らに会って本人の意思を確認したいので、両名に会わせて欲しい旨強硬に要求した。その中で申請人吉田は、「秋田の家族では秋田が受験することで離婚話まで出ているのを知っているのか、秋田を連れ戻せ、局へ電話しろ」「くたばれ鬼、お前らを村八分にするぞ」などと発言し、更に申請人吉田、村上は、それぞれテーブルを叩きながら「こんな計画、誰がした」と発言するに至った。当局側はこれに対し、検討するため休憩を申入れたので、組合側はこれを容れて午前一〇時一〇分ころ組合事務所へ引揚げた。

5 休憩中、田原ら組合役員は、協議した結果、伊藤らの意思を変えることは殆んど期待できないが、ともかく、一度会って説得を試みることで組合側としては事態に収拾をつけることとした。一方、区長らは、国鉄管理局からの連絡により、秋田らが札幌に着いたことを知ったが、組合側が秋田の家族のことを強調することなどから、とりあえず組合側に秋田の家族を会わせることにし、約二〇分後に再開された席上でその旨を組合側に伝えた。しかし、組合側は、本人に会わせることを要求して譲らず、当局側と押し問答を繰り返したが、その間も先刻の交渉の場でなされたと同様組合員から激しい非難、抗議の発言がなされ、申請人吉田も区長に対して「手前の言うことなんかあてにならない。死んでしまえ」などと発言した。ところで、午後一〇時四五分ころに至り、札鉄管理局小野機関車課長から区長室に追分機関区の様子を尋ねた電話がかかり、石井首席助役がこれを受けたのであるが、伊藤らと組合員を会わせることはできないとの内容であった。電話が終ると組合員は石井に対してその内容を知らせるようはげしくつめ寄ったが、石井は組合側の強硬な態度から判断して、そのまま電話の内容を伝えると更に混乱が生ずると判断し、その場を切り抜ける手段として、組合員らに対し、「伊藤らの件は区長に一任するとのことであった。」と故意に事実に反した報告をした。

6 そこで、区長らは午後一一時過ぎころ協議のため休憩を申入れ、検討した結果前田指導助役が付添の上組合側から田原委員長一人を札幌に赴かせて札鉄管理局守衛室において、秋田らに面会させることとし、その旨を組合側に伝えた。そこで、前田、田原は札幌に出発した。この間申請人村上は「おい滝川追分の特殊事情を知っているか、追分というところはおそろしいぞ」などと発言していた。

7 ところで、田原らが出発した後区長らは、午前〇時一五分ころ、札鉄管理局の伊藤労働課長と小野機関車課長に意向を確かめるべく電話したところ、いずれも組合員らを秋田らに会わせることはできないとの返答を受けた。

一方、田原らは、午前一時過ぎころ札鉄管理局に着いたものの、運転部から秋田らとの面会を拒絶され、やむなく追分機関区へ引返すことになり、田原は、追分に残っている竹内地本副委員長にその旨連絡した。

8 田原からの右報告を知った組合員ら五、六〇名は、早速区長室へ詰めかけ、竹内地本副委員長、梅野書記長ら残った組合役員らを中心として区長らに対し組合側をだましたとして激しく抗議し、午前二時三〇分ころからは札幌から戻った田原も加わってきびしい言葉で非難を浴びせ責任を追及したが、これに対する当局側の回答は明確さを欠き「結果的にはそうなったが、初めから騙していたわけではない、局の了解はとっていなかったが、後で電話をすれば会わしてもらえると思っていたが、判断が甘かったとか」、「石井助役が電話を聞き違えた」と説明したが、組合側は納得せず、その場は混乱の度を加えていった。しかして、午前三時ごろ伊藤らの家族を訪ねて出掛けていた長谷川、平吹の両組合員が帰ってきて右家族が不在であったと報告した。組合員らは、当局側の者が右家族をどこかに隠しているのではないかとの疑念も有していた上、家族が入園問題で当局や組合側の間に立たされ、苦しんだ末家出でもしたのではないかとの不安も生じたため、右報告後は専ら家族の問題に移行し、区長らに対してその居場所を明らかにするよう追及した。そして、申請人吉田は、「俺達がこれ程心配しているのに、そこら辺の奴、よくも平気でいられるな、もう一度本人に聞いて家族の居場所を捜せ」「人命の問題だ」などと言いながらテーブルを叩いた。他の組合員も同様の発言をしていたが、申請人村上も区長らに対し「労働課へ電話せよ」と要求した。そこで、区長は他の助役に命じて札鉄管理局労働課へ問い合わせたところ「本人に聞いたら心配ないと言っている」との返答を受けた。しかし、組合側は、伊藤ら本人からの直接の返答が得られなかったため、未だ不安を拭い切れないとして、「家族が首吊りでもしたらどうする」などの発言を繰り返し、結局当局側二名(菅、高橋助役)と組合側二名(鎌田晃一、藤田邦夫)が家族を捜しに出掛けることとなり、午前三時一〇分ころ休憩に入った。そして、区長自身も組合側から執拗に要求されて高石助役らとともに追分の派出所へ赴いて右家族の捜査を依頼した。

9 そのころ、地本では、さきに秋田に面会するべく札幌に出てきた田原から得た追分の状況報告をもとに竹中九仁男書記長、首藤、日下執行委員らが協議した結果追分機関区長らの措置は極めて不当であると判断し、午前三時三〇分ころ、追分にいる竹内副委員長に対し電話で、区長らの責任を追及し謝罪文をとることを指示した。そこで組合側は、午前四時ころから区長らの申し入れにより再開された交渉の席で竹中からの右指示に従い区長らに対し札幌で秋田らに会わせなかったこと、秋田らの家族に当局側から何の連絡もなされていなかったこと及び菅助役らの交代乗務が運転保安に反することなどについて責任を追及した。しかしながら、区長らは、組合側を納得させるような応答をしなかったため、組合員らの語調は再び激しさを加え、申請人吉田、村上は、時折机を叩きながら区長に対し「伊藤、秋田の家族がいなくなったのに、よくも平気でいられるものだ、どこかに隠したのだろう、このろくでなし」などと、更に石井助役に対しても「首席、椅子に腰をかけているとは生意気だ、立て、何をとぼけているのだ、お前、唖か、つんぼか、その態度はなんだ、能なし野郎、馬鹿野郎」などと発言し、他の組合員も同様の発言をした。石井助役は、「騒がしくて電話がよく聞えなかった」などと答えていたが組合側はやはり納得せず、更に同人を厳しく追及した。その結果、石井は、「この混乱を招いた責任をとる」と言い出した。すると、申請人吉田、村上ら組合員は「責任をとるとはどういうことだ」「辞めてしまえ」などの言葉を浴びせて詰問した。そして、石井は、「助役を辞める」と答え、間もなく申請人村上らから差し出された用紙に辞職届を作成し、組合側に差し出した。組合側はこれを受け取らなかったが、しばらく押問答の末写しをとってから右辞職届を同助役に返した。組合側は、続いて区長らに対する追及を始め、口々に「首席助役一人に責任を負わせるのか」「お前も辞表を書け」などと発言したが、申請人村上も「お前の女房役が責任をとって辞めると言っている、お前はどうする、責任をとれ」などと区長を追求した。区長は、「そんなもの書く必要もないし、書くつもりもない」と拒否していたが、薬罐の水を飲もうとしたところ、申請人吉田は、大声で「水を飲むとは不謹慎だ」と怒鳴ったので、区長はその気勢に押されて水を飲むのをやめる場面も生じた。更に、区長が「事態が納まったら進退伺を出す」と発言すると申請人吉田、村上は「今すぐ出せ」などと要求し、「首席に責任を負っかぶせて自分だけ良い子になりたいのか、それ程出世したいのか」などと言い、更に申請人吉田は「貴様みたいな奴はくたばれ」などと言いながら机を叩いた。しかして、午前五時ころに至り、秋田らの家族を捜しに出掛けていた菅助役らが帰り、右家族がいなかった旨報告したので、組合側の追及は一段と厳しくなった。そして、組合側は区長に続いて菅、新川、前田、大野、高石助役らに対して一人づつ順番に次々に激しい言葉を使って責任を追及したため、右助役らもやむなく「力の足りなかった自分達にも責任がある」との発言をするに至り、区長も追及され続けた末助役らと同様の発言をするに至った。しばらくして組合側は、秋田らの家族の心当りをもう一度捜すということになり五時過ぎ休憩に入った。

10 右の如く秋田らの家族の居場所は依然として判明しなかったが、組合側は、この段階で事態を収拾しようと考え、午前六時ころから再び交渉が開始すると、区長らに対して休憩中に先刻の区長らの発言内容をもとにして作成した謝罪文に捺印するよう強硬に要求し、まず区長が続いて他の助役らもそれぞれ捺印した(但し、高石は印鑑を持ち合わせておらず、翌日捺印した。)。続いて組合側は、秋田らの家族の所在を明らかにすべきこと、徹夜の交渉で疲れの出ている組合員に対して年休を与えること、なお秋田らに会わせるべく努力することなどを要求し、当局側は、収拾に応ずることを明らかにした。かくて前夜来の交渉は終り、午前八時頃双方とも区長室を引揚げた。

11 区長、石井助役らはそのまま当日の勤務に就いたが、午後一時ころになって休暇請求者が続出したためその処理と対策にあたったが、組合員ら三、四〇名が外勤助役らを取り囲む騒ぎが生じ、公安職員を三〇名動員してこれを排除するなど区長らは一日勤務に追われ、午後八時ころ区長と石井は帰宅した。区長は翌二月一九日激しい疲労感を覚えたため診察を受けた結果疲労のほか主として慢性腸炎と診断され同日から同年三月三〇日まで入院し、石井は、二月一九日にも出勤したが、疲労を覚え同月二八日まで自宅で休養した後診察を受け、自律神経失調症及び急性胃炎と診断されて通院加療することとなった。

前掲証拠のうち以上の認定に反する部分は措信することができない。

二  そこで、被申請人の申請人両名に対する懲戒権行使の相当性について検討する。

1 機関士養成の学園制度は、前記のとおり一定の経歴を有する機関助士のうちから被申請人が試験の方法によって選抜し、合格した者に一定の教育を施した後被申請人の運輸業務を担当する機関士としての資格を与えるものであるから、事業経営上の必要に基づくものであり、受験資格、試験科目・方法・時期、定員等入園に関する事項は管理運営事項に該る反面機関士としての資格の有無によって、賃金、将来への昇進等に差異が生ずることも当然予測できるから労働条件と無関係であるとはいえず、これについて組合が団体交渉を要求しても違法ということはできない。札鉄管理局もそれが本来管理運営事項に関するものであるとして、協約上の団体交渉の形式をとることはさけつつも、入園による稼働人員不足を現有人員で補うためには、組合の協力が必要であったため、運転部又は総務部を通じ毎年地本との間で実質的団交により入園者の選抜に関し、古年者優先、先任順位尊重の取決めをなし、これに応じた入園者選抜を行っていて、これが慣行化していたことに徴すれば、一旦取決めがなされた以上、組合としてこれがその実行されることを強く期待するのは当然であるし、当局側としても、実行を困難ならしめるような特段の事情がない限りこれを実行すべきものである。しかるに、本件では昭和三九年ころから順次古年者が減少し先任順を尊重する必要が以前に比して少くなったとはいえ、昭和四〇年二月二三日の合意の実行につき当局側はあるときはかかる合意の存在を否定し、あるときは管理運営事項の故をもって白紙に戻すという態度を示し、入園に関する取決め、慣行を無視し競争試験による選抜を強行しようとしたことが、組合側を本件闘争に走らせた発端となったことは明らかである。

もっとも、機関助士の中から機関士としての適性を有する者を選抜するという学園制度本来の姿からみれば、組合側の主張する先任順による優先入園ということは、少くとも、戦後の特殊事情により生じた古年者が減少した段階においては、年功序列的色彩が強く、それ程合理性を有するものとは思われない。この意味で、当局側がこれを是正しようとしたこと自体誤ったことではない。一方、前記事実によれば、地本は、右主張を貫くため受験希望者の意思を尊重することなく、説得に名をかりて受験資格者を組合の統制下におき、一律に受験拒否の闘争手段に訴えたものと認めざるを得ないのであって、かかる組合側の態度にも反省すべきものがあるといわざるを得ない。しかし、当局側としては、とにかく長年にわたって慣行化し、しかも一旦当面の当局側責任者と組合との間で取決めまでした事項を白紙に戻すためには、組合側に対し十分な了解を求めるなどそれ相当の手順を踏むべきであるのに、前記のような一方的態度で臨んだため、これが組合側の入園闘争を誘発する大きな原因となったことは否定することができない。この間の事情は、本件免職の効力を判断するにあたって、無視することができないものというべきである。

2 ところで、前記認定によれば、二月一七日から一八日にかけての組合側の抗議行動の中で申請人両名の言動は参集した他の一般組合員に比べると激しいものであり、節度を欠いたものがあると認められてもやむを得ないものがある。従って、その原因が何であるにせよ、申請人両名の行為が懲戒事由を定めた被申請人の就業規則六六条一七号にいう「職員として著しく不都合な行為」に該当するものであることは、敢えて多言を要しないところであり、申請人両名がなんらかの懲戒処分を受けるのもまた当然であるといわなければならない。

3 しかしながら、申請人両名が参加した区長らに対する組合側の抗議は徹夜に及んだとはいえ、その間当局側の申出により数度休憩の時間が挾まれ、その都度組合員らは組合事務所へ引揚げており、従って、外部との連絡も自由な状態にあったと認められるばかりでなく、区長が予め待機させることを考慮していた公安職員に対してなんらかの具体的要請をしたことを認めるに足る疎明もないから、結局組合側の抗議行動の雰囲気も極度に緊迫していたとまでは認められない。また、前記事実によれば、当夜の組合側の抗議行動は全般的にみる限り田原追分支部委員長ら支部組合三役、地本からオルグとして派遣された竹内地本副委員長ら組合幹部を中心としてその指導により行なわれたものであって、申請人両名の言動も他の一般組合員同様その場の雰囲気に同調し、概ね田原ら幹部の行動に追随したに過ぎないものということができ、ただ、たまたま両名が当局側の者に最も近い位置に座していたことにより、その存在が他の一般組合員より注目をひいたものと推測することができる。

一方、当日の右抗議行動の直接の発端は当局が伊藤、秋田両名を乗務途中で交代させ組合が反対する受験に赴かしめたということにあることは明らかであるが、これは当局側が組合との取決めにもかかわらず入園試験を強行しようとする態度のあらわれであり、また、当日の石井助役のその場しのぎ的な判断により予め徒労に終ることを知りながら田原らを札幌まで赴かせたこと及びその後の区長らの示した瞹眛な言動が組合側の抗議を大きくしたものと認められ、区長らにかかる不手際がなければ、或いは抗議行動がかくも長時間にわたらず、また、辞職届、謝罪文の作成という異例の事態を招かなかったであろうと推測することさえできるのである。もっとも、区長及び石井助役は右抗議行動を受けた後入院又は通院しているが、右両名は抗議行動の終った一八日午前八時ころから終日勤務し、年休処理に忙殺されていたのであるから、これによる疲労蓄積も考えられ、右入院等の責を申請人両名にのみ負わせるのは相当ではない。

更に、申請人両名の場合は後記認定のように列車運行に影響を及ぼすような闘争を指導した申請人小林とは異なり、その行為が直接被申請人の業務運営に著しい対外的支障を与えたものと認むべき資料もない。

4 以上の諸事情を考えると、被申請人が懲戒権の行使として免職を選択することは、自己の非を顧ることなく、いたずらに申請人両名のみを責めることに帰し、その行為の態様等からみて均衡を失した処分といわざるを得ないから、申請人両名に対する本件免職は懲戒権の濫用として無効であるといわざるを得ない。

第四  申請人佐久間、同小林の申請に対する判断

一  当事者間に争いのない事実及び≪証拠省略≫によれば、以下の事実が疎明される。

1 札幌地本は被申請人が札幌地本との取決めにより慣行化していた先任者優先による学園入園の方法を一方的に改め、通常の競争試験を採用するに至ったとして、これに対する抗議のための行動を傘下各支部に行なわせる目的で闘争指令(事実摘示第三の四の1)を発したもので、これを受けた岩見沢支部では昭和四一年二月一六日執行委員長代行(副執行委員長)城座正美、書記長申請人小林その他執行委員により構成される執行委員会が同支部も右指令に従って闘争を行なうことを決定し、以後連日右指令の具体的実施方法、当局側からの分裂工作に対する対策等を討議した後集会を開きその結果を支部所属組合員に伝達してこれを実行させて組合員の闘争を指導した。この闘争は以後同年三月七日まで続けられたが、この間同支部の指導の下に行なわれた行動は次のとおりである。

(一) 勤務中の組合員が「団結」と書かれた鉢巻、「動力車岩見沢支部」と書かれた腕章を着用した。

(二) 組合員は同年二月二一日から同月二六日まで平常、平均時速二〇キロメートルの速度で行なわれている岩見沢駅構内の車両入換作業を平均時速五キロメートルで行なった。この間支部組合幹部は組合員による入換作業を看視していたこともあった。このため、右期間入換作業が遅れ貨車の組成ができなくなり未仕訳車を出すなど次のような列車運行上の支障が生じた。

二月一九日 未仕訳貨車一一九両

二〇日 一〇便の本屋操車場間小運送中止

二一日 未仕訳貨車一〇両

二二日 未仕訳貨車一〇六両

二三日 未仕訳貨車八一両

二七二列車の後方増車函館

二〇両増結予定中止

二六日 未仕訳貨車四両

岩見沢機関区で仕訳作業が進まないため七七二列車美唄駅にて三五両残し四両のみで岩見沢駅に到着一六六列車を未仕訳車のまま三二七八列車に継送して発車させた。

(三) 被申請人主張のような申請人両名が参加した無許可の集会(事実摘示第三の四の2の(一)の(3)の(イ)ないし(ヘ))が岩見沢機関区乗務員詰所、同詰所前及び講習室において開かれた。また、同年二月一九日講習室での集会終了後、組合員約七〇名が運転助役室に入り土門助役をとりかこみ同助役が前日自宅待機を命ぜられて出勤しなかったこと、同助役のとった勤務変更の措置が不当であったこと等を取上げて机を叩く等して大声で非難し、吊上げを行なった。

(四) 二月一八日から三月七日までの間、少なくとも、別表一記載の数以上の組合員が年次有給休暇、祝日代休、年末年始特別休暇、祭日休暇(以下総称して「有給休暇」という。)を請求したが、右請求に際し一組合員に数名くらいの組合員がつきそい、担当助役が業務上の支障を理由に右請求の一部を拒否すると、つきそい組合員が長時間にわたって助役に抗議した。岩見沢機関区当局は、集中的に数多くなされた右の有給休暇請求について、その許可を決める資料とするため二月二〇日以降病気を理由として右請求をする者に対して診断書を要求し、更に同月二四日以降被申請人の指定する医師の診断書の提出を要求した。これに対し組合は、有給休暇請求に理由を述べさせたり資料の提出を求めたりすることは不当であるとして、多数の組合員を動員して抗議し、また、同月二〇日以降の請求者の多くは組合の指示により診断書を添付して病気を理由に有給休暇請求をしたため、担当助役としても、結局右請求を全部承認せざるを得なかった。この結果右請求に対して岩見沢機関区当局として承認を与えた数は別表一記載のとおりであるが連日多数の休暇者が出たため、当局においては、代替要員の手配ができなくなり二月二五日から同月二七日までの三日間貨物列車一一本(運休距離三〇八・三キロメートル以上)を運休させざるを得なかった。

(五) 組合幹部を含む組合員約二、三〇名が同年二月二〇日代替乗務員河原宏を、同月二一日代替乗務員小林久雄を取囲み「こんなのが機関士で乗るのではとても危くて乗れない。」「タービンのつけ方もわからない者と一緒に乗務できない。」等と口々に野次っていやがらせをした。

(六) 二月二一日入換仕業五番及び二二日入換仕業八番の岩見沢駅構内の入換作業中の機関車に組合の規制する速度で作業するため許可なく組合員が乗込み、被申請人に無断で所定の機関士と交代した。

(七) 組合は、二月一八日から同月二二日まで及び同月二八日に被申請人の許可を受けることなく岩見沢機関区乗務員詰所内に冒頭に述べた順法闘争等の内容等を記載した掲示類を掲出した。

2 申請人小林は、支部書記長として本件闘争全般の指導にあたった。すなわち、同申請人は執行委員会の決定に参画しただけでなく、組合員に対し地本指令を忠実に実行させるべくその伝達にあたり、所定日数の有給休暇を消化しないでいながらこれを請求しようとしない個々の組合員に対し右指令の趣旨にそってこれを請求すべき旨説得し、有給休暇を申請する組合員に同道して担当助役に対し右請求を承認すべきことを強く迫り、担当助役が病気を理由とする休暇申請者に診断書の提出を要求したことを不当として再三抗議し、また、前記1の(三)記載の無許可集会に参加し、三月六日の乗務員詰所内外での集会で「当局が講習室の使用を邪魔し、われわれの集会を妨げた。」旨演説し、同日行なわれた土門助役に対する抗議行動においては中心的役割を果し、更に前記1の(五)に記載の代替乗務員河原に対するいやがらせにも参加し吊上げ行為を行なった。更に、同申請人は、二月二〇日「高血圧症、二月二一日、二二日の両日休業加療を要する」旨及び同月二四日には「急性腸炎、本態性高血圧症、二月二三日から一週間安静加療を要する。」旨の病気欠勤の届をなし、同月二一日から三月一日までの間有給の欠勤扱いを受けたのに右有給欠勤扱いの趣旨に反し療養につとめず、その期間中書記長として前記1の(一)ないし(七)の行動を指導し、かつ(二)、(六)及び(五)の一部の行動を除き自からもこれに参加し実行していた。

3 申請人佐久間は二月一六日まで支部執行委員長であったが、同日辞任し本件闘争には一組合員として行動したが、具体的には前記1の(三)の集会に参加し、このうち三月六日における請習室の集会に際しては他の組合員と共に施錠してあったの同室戸をはずして、組合員を入室させ、有給休暇請求者に同道して右請求が拒否されると担当助役に抗議し、二月一八日から三月三日まで公休を除き自らも有給休暇を請求し、そのうち二月二一日から三月二日までの間「急性喉頭気管支炎、安静加療を要する。」との診断書を提出して休暇を得たにもかかわらず本件闘争に参加していた。

前掲証拠中以上の認定に反する部分は措信することができない。

二  ところで被申請人は本件免職の理由として、前記一の1の(一)ないし(七)の行為を申請人両名が指導しこれに参加した旨主張しているが、もしこれらの行為が全体として争議行為としての実体を有するとすれば、個々の行為が争議行為であること以外の理由で法令、就業規則にふれ違法性を帯びれば格別、そうでない限り結局申請人両名は争議行為を理由に解雇されたことに帰する。しかして、公労法一七条一項は公共企業体の職員及び組合に対し業務の正常な運営を阻害する一切の行為及びかかる行為を共謀し、そそのかし、あおったりすることを禁止しているが、申請人両名は、右規定が憲法二八条に違反して無効である旨主張するので、本件免職の適否を判断するに先立ってこの点から検討する。公労法一七条一項が右のように規定した趣旨は、公共企業体そのものを保護するというのではなく、一般に公共企業体は他の私企業に比し公共性が強く、その職員及び組合の争議行為が国民生活に重大な影響を及ぼすおそれが多いことに由来するものと解され、かかる趣旨に立脚する限り右規定そのものを直ちに違憲であるとなすことはできない(最高裁判所昭和二六年(あ)第一六八八号同三〇年六月二二日大法廷判決)。しかし、右の趣旨はあくまでも一般論であって、ひとえに公共企業体といってもその公共性には強弱の差があり、どの企業体においても職員又は組合が争議行為をすれば直ちに国民生活に重大な支障を及ぼすおそれがあるとは限らないし、公共性が強いとみられる企業体であってもその争議の方法いかんによっては国民生活にさして重大な影響を与えない場合もあり得ることは容易に推測されるところである。しかして、公共企業体の職員も憲法二八条により労働基本権を保障された勤労者であると解せられる以上、公労法一七条一項がかかる行為までをも禁じ、その違反者に対し同法一八条により解雇等の不利益処分を課することまでをも許容しているとまでは考えられない。すなわち、勤労者たる公共企業体の職員の労働基本権と国民生活全体の利益の調和との観点から考えるならば、同条にいう業務の正常な運営の阻害とは、当該企業体の職員又は組合の業務停廃を伴なう具体的行為によって国民生活に重大な影響がもたらされるおそれある場合を指すものと解するのが相当であり、従って、かかる行為が同条によって禁ぜられている争議行為であるということができるのである。

三  本件入園闘争のうち組合が特に闘争の中心として推進したのはその行為の態様からみて被申請人の業務を停廃させる目的の下になされた前記一の(二)の入換速度規制闘争及び(四)の有給休暇闘争であると推察することができる。そこで、本件闘争におけるこれらの業務停廃を生ずべき行為と公労法一七条の関係について検討を進める。

1 成立に争いのない乙第八四号証の被申請人の運転取扱基準規程六九条によれば、機関士が車両入換をするときの速度(時速)につき機関車のみのとき四五キロメートル以下、旅客が乗込んでいる車両により貨物車を入換するとき一五キロメートル以下、それ以外の場合二五キロメートル以下と定められていることが認められるが、右規定は安全の見地から各種の場合における入換速度の最高限を規制したもので、右規制をこえない限度でいかなる速度で入換作業を行なうべきかは各機関区の実状に応じて定むべきことが許容されているものと解すべきところ、岩見沢機関区では前記のとおり平常右規制の範囲内の速度である二〇キロメートル以下で機関車の入換作業が行なわれており、右速度による作業のため特に事故が発生したとか、その危険があると認むべき疎明もないから、平常時における二〇キロメートルの速度は適正なものであると認めて差支えない。しかして、組合の指導下になされた入換速度規制闘争の結果岩見沢駅では貨車の仕訳が遅れ、貨物の輸送業務に支障を来たしたことは既に認定したとおりであるが、貨物輸送は全国的規模を有する被申請人の重要業務のひとつであるから、これに支障を及ぼすような業務停廃行為は国民生活に対し重大な影響を及ぼすおそれある行為というべきであり、組合の指導下になされた前記入換速度規制闘争は、岩見沢機関区において運転基準取扱規程の定めに従ってなされている平常の入換速度に明白に反する怠業的行為であるから、これによって前記のような支障が発生した以上、これを公労法一七条一項により禁止された争議行為と認めて差支えないものというべきである。もっとも、≪証拠省略≫によれば、同機関区作成の入換機関車乗務員作業指針によれば、同機関区では同駅操東仕業入換引上げの速度及び操北第一仕業における操北第一信号所地点での速度に関しては一〇キロメートル以下と定められており、平常これに従って入換作業がなされていることが認められるが、地点のいかんを問わず一律に五キロメートル以下に速度規制をするならば、これは、争議行為と認められる状況に至っているものといわざるを得ない。

2 次に有給休暇闘争についても、前記のような大量の集中的な休暇申請は、これにより列車業務に支障を与える目的でなされたものであることは明らかであり、しかもその結果前記のとおり運休貨物列車まで生ぜしめ、貨物輸送業務に支障を及ぼしたのであるから、右闘争も公労法一七条一項により禁ぜられた争議行為というべきである。もっとも、≪証拠省略≫によれば、本件の場合、使用者の承認の有無にかかわらず請求者がいっせいに休暇をとるいわゆるいっせい休暇戦術とは異なり、休暇請求に対し承認を得られなかった者は若干の例外を除いては殆ど乗務していることが疎明されるが、このように、当局側が右休暇請求を承認している以上、休暇者多数により運休列車が出たとしても、これと休暇請求との間に因果関係がないのではないかとの疑問が生ずる。しかし、本件闘争では前記のとおり組合としては列車業務に支障を与える目的でできるだけ多くの休暇承認者を得るべく二月二〇日以降は殆ど全員に病気を理由に休暇請求をさせているが、≪証拠省略≫により疎明される昭和三九年ないし四一年における毎年二月の休暇使用実績の比較は別表二のとおりであり、厳寒期であることを考慮に入れても、昭和四一年に限ってかかる大量の職員が罹病するとは常識上考えられないところであるし、現に≪証拠省略≫によれば、休暇請求が不承認となったのに乗務を拒否した者のほか、申請人両名のように休暇承認を得ながら本件闘争に参加し組合活動をしているところを現認されている者もいることが疎明されることからみても、右請求の大部分は闘争の目的を秘匿した虚偽請求と認めざるを得ない。しかし、担当助役としてはかかる虚偽請求であっても病気を理由とされる以上直ちにその真偽の判別はつきがたいし、かつ前記のように一人の組合員に数名の組合員がつきそって長時間にわたり承認を迫られるので、結局病気を理由とする請求を全部承認せざるを得なかったものである。そして、かかる事情によって列車運行業務に支障が生じたものと認めるべきであるから、これと組合の指導下になされた有給休暇請求との間に因果関係が存するものということができる。

申請人両名はいかなる目的に有給休暇を利用するもそれは労働者の自由であることを理由に使用者が労働者に対し休暇請求の理由を示すことを求めることは許されない旨主張する。しかし、申請人両名のような公共企業体職員が有給休暇を違法な争議行為に利用することが許されないのはいうまでもないことであって、被申請人はかかる目的の下になされた休暇請求に対しては時季変更権を行使することなくこれを拒否できるものと解すべきところ、前記事実関係によれば、支部組合員による前記有給休暇申請は業務停廃を目的とするものでこれを認めれば被申請人の列車運行業務に支障を生じることが当然予測できる事態であったから、被申請人としても右請求の許否を決する資料として病気を理由とするものについて診断書を要求することはなんら違法ではないし、その際、信頼度の高い診断書を得るため特定の医師を指定することも許されるものというべきである。

3 以上のとおり本件闘争の中心となった入換速度規制闘争及び有給休暇闘争がいずれも公労法一七条一項により禁ぜられた争議行為と認められる以上、本件闘争も全体として違法な争議行為として評価され、被申請人がその行為者に対し、国鉄法、就業規則を適用し懲戒権を行使することは許されるものというべきである。もっとも、申請人両名は公労法一七条一項違反者に対しては懲戒処分に関する国鉄法及び就業規則の適用なく、同法一八条による解雇をすることのみが許される旨主張する。しかし、右一八条は一七条違反の争議行為者について各種身分保障に関する規定にかかわらず解雇してもこれら諸規定に反しないことを意味するものであり、使用者が違反者に対していかなる措置をとるかについてはその合理的裁量に委ねたものと解すべきであるから、右違法争議行為の態様、対外的影響等諸般の事情からみてそれが懲戒事由を定めた国鉄法及び就業規則にも該当すると認められる場合には使用者はこれに対し懲戒権を行使することが許されると解するのが相当である。よって、申請人両名の右主張は採用の限りではない。

四  そこで、被申請人の申請人両名に対する懲戒権行使の相当性について検討する。

1 前記のとおり、入園問題についても組合として団体交渉を求め得るとすれば、法の許容する限度で団体行動をすることもまた違法ということはできない。しかし、入園問題はあくまで被申請人内部の固有の問題であり、本来被申請人の労使がその責任において解決すべき事項に属するから、これをめぐり組合側が違法な闘争をなし、これにより、列車運行に支障をもたらし、第三者たる国民にまで影響を及ぼすことは許されないものというべきである。申請人村上、小林に対する本件免職の効力を判断するにあたっては、その行為の態様からみて、申請人吉田、村上について述べた前記第三の二の1に述べた事情のほかこの点をも考慮に入れなければならない。すなわち、対外的影響の少ない単なる内部規律違反、内部的業務支障、施設管理権の侵害等のみを理由に重い懲戒権を行使することは前記のような入園をめぐる紛争の責任を一方的に組合側に押付けることになり許されないが、闘争が列車運行に支障をもたらし、対外的にも重大な影響を及ぼすに至った場合についての責任は看過し得ず、ただその場合でも行為者の役割に応じてその責任の軽重を論ずべきである。

2 このことを前提に、申請人両名が前記認定の諸行為を指導し、自らこれを行なったことが懲戒事由を定めた就業規則六六条一七号にいう「著しく不都合な行為」に該当し、かつ懲戒免職に値するかどうかについての考察を進める。前記一の1の(一)の腕章、鉢巻の着用及びその指導については、労働組合が闘争時にその主張貫徹の意思表明の方法として腕章、鉢巻を所属組合員に着用させることは通常のことであるし、本件においてはそのこと自体によりなんら被申請人の業務が影響されたものでないこと及び組合員の大部分が主として貨物列車に乗務する機関士等で一般乗客に接する業務に従事しているわけではないから第三者に与える感情についてはさして考慮しなくてもよいことなどを考えると、右腕章、鉢巻の着用は、職員服務規程九条「服制の定めのある職員は、定められた服装を整えて作業しなければならない」との規定及び安全の確保に関する規程一四条「従業員は定められた服装を整えて作業しなければならない」との規定にふれるとはいえ、前記懲戒事由にいう「著しく不都合な行為」には該当しないものというべきである。1の(三)の行為のうち乗務員詰所及び講習室における無許可集会の指導及び参加並びに三月六日の集会の際の施錠した戸のとりはずし行為は被申請人の施設管理権を侵害するものといわざるを得ない。もっとも、≪証拠省略≫によれば、平常時は被申請人も特段の業務上の支障がない限り組合が集会のため講習室を使用することを許可していたが本件闘争が始まるや急拠その使用を認めない態度に出たためやむなく組合が集会のため右のような無許可使用の挙に出たものであることが疎明されるから、被申請人の態度も闘争対策の感は免れないが、組合は当初から本件闘争の中心として、前記のとおり公労法により禁ぜられている争議行為と認められる入換速度規制闘争及び有給休暇闘争を企画し、これを実行していたのであるから、かかる違法行為を企図する組合に対し被申請人が集会のため施設の利用を許可しなかったからといって、被申請人を強く非難することはできない。従って、かかる集会を主催し、参加し、かつ集会において指導的立場にあった組合書記長である申請人小林及び右集会に参加し、かつ講習室の施錠した戸をとりはずした申請人佐久間が懲戒事由にいう「著しく不都合な行為」をしたものと認められてもやむを得ない。しかし、右集会によって直接列車運行に支障を生じなかったことは推測できるし、他に被申請人の業務を具体的に阻害したか否かについてはこれを認むべき資料はなく、また、闘争時という異常事態の下にあったことを考えれば、これのみをもって、懲戒免職に相当するとまでは認めることはできない。(三)の行為のうち土門助役に対する抗議行動及び(五)の行為もその態様からみて懲戒事由にいう「著しく不都合な行為」に該当するとはいえ、列車運行業務上いかなる支障が生じたかは明らかでなく、これのみを取上げて懲戒免職事由に該当するとなすことはできない。(七)の無許可の掲示等も一応被申請人の施設管理権を侵害するものであるが、平常時は被申請人も組合が所定掲示板以外の場所に組合関係物を掲示してもこれを黙認しており、闘争時において特にこれを問題視して取上げることは闘争対策の感は拭えないし、≪証拠省略≫によって認められるように、掲示内容も主として組合の主張貫徹を内容とするものである上、整備助役室裏に横断幕を張った以外は第三者の目にふれることのない乗務員控室内部に容易にはがし得る状態でビラ類を掲示したもので、建物としての美観を著しく損うものではないことなどを考えると、本件における無許可掲示等をもって、懲戒事由にいう「著しく不都合な行為」に該当するとはいえない。

3 しかしながら前記一の1の(二)の入換速度規制、これに附随してなされた(六)の組合員の機関車への無断乗込み及び(四)の有給休暇闘争についてはこれによる列車運行業務への支障は前記のとおり相当広範にわたっており、一方札幌地本及び傘下組合が入園問題について主張する先任順位による選抜制度は少なくとも古年者が減少してきている段階においてはすでに述べたとおり年功序列を重んずるさして合理性を有しないものであると思われるのに、これを貫徹するため、前記のように国民生活に重大な影響を与えるおそれのある争議行為としての入換速度規制及び有給休暇闘争に訴えたことは、その有する企業の公共性からみて黙過しがたいものがあるといわなければならない。そして、病気欠勤届が認められる有給休暇扱いを受けながら、その間かかる行為について前記のように書記長として指導的役割を果した申請人小林の責任は重大であり、その行為は懲戒事由にいう「著しく不都合な行為」に該当し、かつ懲戒免職に値するものといわなければならない。また、病気欠勤届が認められ有給休暇の扱いを受けながら、その間有給休暇闘争に参加した申請人佐久間も同様右懲戒事由に該当するものといわなければならないが、同申請人は前記のように本件闘争開始直前に支部委員長を解任され一組合員として参加したに過ぎず、特に指導的役割にあったと認むべき疎明が存しない以上、既に認定した無許可集会への参加等の事実を考慮に入れても、解雇としての懲戒責任を追及するには重きに失するものと認めざるを得ないから、同人に対する本件免職は懲戒権の行使を誤ったものとして無効とすべきである。

4 なお、申請人小林は本件免職が不当労働行為である旨主張するが、既に述べたことから明らかなように、本件闘争における同申請人の行為は正当な組合活動と認めることはできないから、これを理由とする本件免職は不当労働行為ではない。他に、被申請人が同申請人を組合活動の故に嫌悪して本件免職に及んだものと認むべき資料もない。

第五  本件仮処分の必要性

そこで、申請人吉田、村上、佐久間について本件仮処分の必要性について判断するに、≪証拠省略≫によると、右申請人らはいずれも従前被申請人から支払われる賃金により生計をたてていたところ、本件免職処分により被申請人からの賃金の支給を受けられなくなったほか、従前の仕事に就くことができないため、以後現在に至るまでやむなく専従の身で動労の組合業務に従事していることが認められるところ、本件免職処分後右申請人らがいずれも動労から犠牲者救済規則に基づいて見舞金三〇万円を支給され、本来被申請人から毎月支給を受ける給料と同額の金員を支給されており、また右救済規則によれば昇給及び給与改訂分も含めて被申請人の職員と同様に取扱われることになっていること、その他裁判費用も全額援助されるほか右処分により失った福利厚生上の補償を受けていることは当事者間に争いがない。しかしながら他方、右証拠に≪証拠省略≫を加えると、右救済規則による毎月の支給は、右申請人らが復職または再就職するまでの間行なわれるものとされ、本案において勝訴し、申請人らが再び被申請人より賃金の支給を受けるようになった場合は払戻をすべき暫定的、臨時的な制度であることが認められるから、申請人らが右のような金員の支給を受けているとの一事をもって、本件仮処分申請の必要性が欠けるものと断ずることは相当でない。

第六  結論

よって、申請人らが被申請人に対し雇傭契約上の地位にあることを仮に定めることを求める本件仮処分申請のうち、申請人吉田、村上、佐久間の申請は、理由があるので、事案の性質に鑑み無保証で、これを認容するが、申請人小林の申請は理由がなく、また、保証をもって疎明に代えることも相当でないのでこれを棄却することとし、申請費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 鈴木康之 裁判長裁判官松野嘉貞、裁判官岩垂正起は転任につき署名捺印することができない。裁判官 鈴木康之)

〈以下省略〉

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